2月14日 説教要旨

御霊による思い

ローマ8:1−5

by David May

 

ローマ書8書は、聖書の中でも特に最も内容が凝縮された箇所である。

 

 御霊とは何か。かつてHoly spiritHoly ghost と誤訳されていたので幽霊のようなものと勘違いされると困るが、ヨハネ3章8節にあるように御霊とは風のようなものである。風は目には見えないが、その働きはわかる。たとえばヨットの帆を見れば風があるのがわかり、風車が回っていれば風が吹いていることがわかるようなものである。

 御霊は単に力だけではなく、人格を持っている。三位一体をなす一つの人格であり、神と同等である。創世記の1:1には創造の時から神と共にいたこと、使徒5:3には聖霊の働きが示されている。ルカ3:21,22には父なる神、聖霊、子なるイエスの3者が同じ場面にいたことが描かれている。

 

 御霊の働きは、どのようなものか。イエスの十字架以降、神殿は不要となった。「人の心」の内に聖霊が住み、覆いを取り去った。イエスは弟子に向かって聖霊について説明している(ヨハネの福音書14:16−18)。聖霊は罪を取り除くにのみならず、「人の心」に住み、罪から完全に引き離す働きをする(ローマ8:5)。

 元来、人はアダム以来の罪の性質を受け継ぐ(ローマ5:14)。罪の本質とは、不品行、汚れ、公職、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興そういった類のもので(ガラテヤ5:16,17)、自然に人の性質に存在する。

 しかし、新しい性質を得ること、新しい創造、生まれ変わりによって愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制(ガラテヤ5:22,23)が備わる。それらはあり過ぎて困ることはない。人が求めるものであるが、自分では得られない。御霊の働きは、肉の性質、罪の性質と相反する。新しくなったからといって自動的に完全になるわけではない。強制的に何か作用するものではなく、心の葛藤の中で聖霊の助けを得て御霊によって歩むことによって勝ち取るものである。

 

 誰に従うのか。私が車で教会に来る道筋で、時間通りに家を出て寄り道をすることはない。それと同様に、まっすぐに聖霊に従うことが重要である。人は頭の中で罪を犯し、実際に行動に移して体で罪を犯す。すなわち2度罪を犯す。だからこそ聖霊の働きが重要である(ローマ12:1)自分の考え方を変える必要がある。新しいものを作るときは、最初に必ず古いものを捨ててから、次に新しくものを作る。考え方も、先ず古いものを捨て、次に御言葉に親しみ学ぶ必要がある。もし聖書に親しむことがなければ聖霊の働きが十分に作用することができない。今日から聖書に慣れ親しむことが重要である。常に継続し日々続けることによって新しい性質が新しい体と結びつく(ピリピ4:8)。

 ここにグラスがある。水を少し入れる。まだこれだけ余裕がある。更に水を注ぐ。半分くらいになる。再び水を入れる。余裕はわずかになった。最後に目一杯いれると、もう何も他に入れることはできない。それと同じように聖霊で満たされることによって、罪が入る余地がなくなる。

 また、ここに電球があります。電気を通さなければ点きませんよね。どうやっても無理です。私のような火花が飛び出るような性格の者が手に持っていたからといっても点きません。電気を通さないと無理です。それと同様に聖霊の働きを作用させるには聖書に慣れ親しむ必要があります。