418日 説教要旨

大志をいだけ

Boys! Be Ambitious (for Jesus Christ)

By Andy Game

 

 私の名前はGame です。Olympic game ではないのですが、英国から米国へ移り住み宣教師であり、会社を経営しています。私たちが何者で、どこから来たのか興味がありますよね。自分を位置づける文化的な背景や生まれた国、そして私たちの目的は何なのか。私たちの情熱の対象は何なのか。山の頂上にいれば何で私はここにいるのだろう、と自問するわけです。私自身はアルファコースに携わっています。神は私たちの目的は何なのか自問するように求めています。月曜日から金曜日までは会社勤め、日曜日には教会で礼拝する、神はいずれの場合にも主です。聖書にはイエスの語られた52のたとえ話があり、そのうちの45は仕事に関するたとえ話です。モーセは羊飼いでした。ペテロは漁師であり、ルカは医者でした。私たちには日々の生活、仕事の中で証する責務を負っています。私はアルファコース、VIP を通し職場の中で伝えようとしています。いかに宣べ伝えるか、私は赤坂や大手町など都内のビジネス街で6箇所の拠点を設け、仕事や経済環境が変化し非正規雇用の問題化している職場の移り変わりの中で、働けども貧しい人たちに対し、聖霊に導かれながら支援しています。都内では15教会が協力し、横浜でもアルファコースを開催し15名の方々が集っています。

 ローマ12:1,2 には日々の生活を神に捧げ物をしなさい、とあります。神の御心を知り、神に焦点をあて、神の招きを受け入れることが命じられています。私たちにとって3つの教訓を紹介します。

 1つ目は、Don’t be squeeze. 押しつぶされるなということです。お金や悩みなどに関して型にはまってはならない、むしろ困難を機会とすべきです。

 2つ目は、Set priority in your life. 自分が優先度を決めないと、世の中の方が決めてしまいます。だから自らが優先するものは何なのか決めてください。

 3つ目は、Shape your environment where you are. 神は私たちを目的をもってそれぞれの環境の中に置いています。私たちは前向きに自分の置かれた環境に向き合うべきです。神は、私たちを通して働きたい、という大望をもっています。キリストを代表とする生き方をすべきであり、神の希望や情熱のもと積極的に生きるべきです。

 救世軍のウィリアム・ブースは「情熱のない者に成功なし」と言いました。最近、新幹線の広告で見たのですがAmbitious Japan (JR)、そして飛行機ではInspiration Japan (ANA)という言葉が目に付きました。私たちは神に対してambitiousであるべきです。

 アブラハムは情熱と祝福の人です。神は私たちに対して多彩な色合いの大いなる希望を抱いています。いろいろと大変で、肩を落とし夢が白黒に小さくなっている、そんな世の中の流れ対して、神のもと大きく多彩な目標な志をいだきましょう。仕事と仕事の合間に祈りによって困難を克服すべきです。15年働き続き解雇され、パートで働き家賃を払うのが大変であった人が、祈りによって神が顧みられた証を聞きました。困難の中にも神は私たちに道を開いてくださいます。悪いことに耳を傾けないでください。かつて(シエナの)カテリーナは「私は神のことはわからない、だが信ずる」と言い、神は不変で信頼できる方であることを訴えかけました。私たちは従順に基本に立ち返るべきです。Ambitiousであることは、同時に深い充足感があります。神がなされている、神の恵みを受ける、福音を述べ伝える時に与えられます。深い充足感とは、環境やお金や家族からのものではなく、神の御心に従って働いている充足感、満足感です。とても大事なことです。神のもとに喜びをもって生き、神が癒し、神が希望をもたらします。

 α weekendでは、祈りによって神のもとひとつの心となることを目指しています。日々の生活でスポンジのように絞られている、週末はそれが神のもとに元に戻る時です。満員電車の中で押しつぶされていても、心には賛美があります。結婚問題を通して神に目を向ける機会となります。毎日のデボーションが大切です。コンピューターゲームに時間を奪われることよりも、神と共に過ごすことが大事です。スポンジにように愛を受け入れましょう。God gave us full color vision. 神は私たちに彩り豊かな大望を与えてくださいました。白黒の夢ではなく、翼を広げ希望を持ち大望を抱くべきです ウイリアム・クラークは Boys! Be ambitious for Jesus Christ. といいました。日本では後半のイエスキリストのためが抜けていますよね。しかし私たちは神と共に歩むとき、その言葉の真の意味を知るのです。