2月28日 説教要旨

聖霊の働き

ローマ8:18-27

岡山 哲

 

 ローマ書18章に移る前に17章を見てみると3つの法則があります。1つ目は、思いの法則、2つ目は罪と死の法則、3つ目は命の法則です。パウロは、「私たちは神に従う思いがありながら、しかし罪と死の壁にあたる。そして打ちひしがれて絶望感にひしがれるが、命の法則に導かれる」と説きます。法則とは、条件が整えられれば必ず成り立つことを意味するものです。聖霊による救いの法則とは、条件として聖霊の働きを受け入れるならば、命と平安を得るという約束を意味します。罪と死の法則からの解放です。父なる神が証し、保証する約束です。条件は、体の行いを死に渡す。そうすれば、私たちは神の共同相続人となる。聖霊によって現在は「親子」の関係であったのが、将来は「共同相続人」として長子の権利を得ることを意味します。それには私たちの力では無理なので「聖霊の働き」を受け入れる必要があります。

 将来に至る聖霊の働きを受け入れることにより、現在は自分の救いが、将来にわたる救いに至ります。それは全被造物に救いがあることです。太陽が救いを待ち望んでいると考えたことがありますか。私たちの救いのみならず、被造物全体の救いに関わります。神様から全被造物の管理を任されている私たちの救いだから、パウロは「現在の苦しみは将来の救いに比べればたいしたことはない」と説きます。現在の苦難は将来の救いに望みがあります。望みをもつことが既に救いなのです。

 体が贖われるという言葉に対して、私たちは疑いがあったのではないでしょうか。苦難に直面したときに望みをもっていたでしょうか。「体が贖われる」とは非科学的ですが、確信できるものがあります。それはキリストの働きです。内在するキリストの働きを確信するのです。苦難が与えられていても、聖霊の働きがあるならば、いかなる祈りをすべきか導かれます。

「主よ。早く帰ってきて下さい。」

将来への望みがあるのです。全被造物の望みが私たちの双肩にかかっているなら「忍耐」すべきです。望みを失うなら、もっと聖霊の働きを求めるべきです。祈る方法も言葉もない・・・そんなうめきの中に、予期せぬ驚きに満ちた素晴らしい救いが待ち受けているのです。神を認めるならば、私たちの想像や予想を遙かに超えた神の働き、聖霊の働きの前に、私たちは言葉を失います。それは内在するキリストの働きです。私たちのために取りなしてくれるキリストが内在するのです。キリストが私たちの心の奥底を探り救いに導きます。神の熱心こそが素晴らしい。私たちはそれに対してどう答えるでしょうか。信頼するのです。そうすれば今までのもの、心の奥底にあったものを光の中に明らかにしてくれます。

 時に私たちは

「こうなってください」

「私のここが悪いので直してください」

と祈ります。神はそのようなことは既にわかっています。心の奥底の壁を取り除き、その奥底を変えたい。私たちはそれに反して、私たちの「どうか」ここを直して下さいと、私たちの思いで神の思いを邪魔します。私たちの思いは銅貨(どうか)の思いです。しかし、神の思いは「金貨」の思いです。私たちの思いが聖霊の働きによって明らかにされ、神の思いに変えられていくのです。

 最後に、最近の出来事ですが私どもの知人に手術をする方がおり、手術の時間に私どもはお祈りを捧げていました。ところが手術の時間が早まっていたのです。後で知ったことですが、手術の時に麻酔が効きすぎて、その麻酔が切れたときにちょうど祈りのタイミングとあったことがわかりました。神のタイミングは絶妙です。